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2005.10.08

じゃあ、現実世界は匿名じゃないのか?

インターネットの巨大掲示板がらみの事件があるたびに、「インターネットの匿名性が問題だ」「匿名だと思って何をやっても許されると思うのが問題だ」という論調になり、「インターネット(たとえば掲示板の)利用者氏名登録制」が必要だとか免許制が必要だとかの規制論みたいなものをマスメディアで大まじめに言う人がいますね。いや、マスメディア全体の論調がそんな感じですね。

先日も朝の情報番組で、司会者、コメンテータがそういう論調を展開していました。

インターネットが匿名でなんでもできるなんて、誰が決めた大原則なんでしょう?インターネットが現実世界と乖離しているとなんで決め付けるんでしょう?

テクノロジとテクノロジのもたらす新たな(物理的、論理的な)空間は、現在僕らの住んでいるこの次元の延長であって断絶はないはずです。だって、それらテクノロジは僕らが住んでいるこの次元で生まれたものだから。
つまり、インターネット世界と、僕らのいま住んでいる現実世界はつながった一体の次元、空間なんです。

現実僕らが生活しているこの世界だって、街ですれ違う人についてだれも住所氏名年齢職業出身地などを書いた名札を胸につけているわけではありません。つまりみんなある程度の匿名性を持っています。だけれどもなにか事が起きると(もしくは必要に応じて)、自分で名前を名乗ったり身分証を提示したり、もしくは他の人間や機関からそれを特定されたりするわけです。

インターネットの世界だって、自分から名乗ったり、自分を証明するものを提示したりする以外に、IPネットワークの特性(必ずIPアドレスが存在する)と現在の法体系(プロバイダ責任法)から、自分で名乗る以外にも特定が可能なわけです。(他の人間や機関が特定する上では、基本的人権と公共の福祉のバランスいう憲法の大原則にのっとる必要性があるのも現実世界と同じ)

つまり、原則的にはインターネットだろうが、路上だろうがどこだっておなじことなのです。

路上でもでみんな名札をつけてあるいているわけでもなければ、名前を名乗っている人もいる(偽名の場合もある)。必要が無ければ名札をつけていたり、身分証を提示することはない。
そこで、お買い物をしている人もいれば、なにかをぼーっとみているひとも、おしゃべりしている人もいる。
悪いことをしたら、悪い。そうでなければ、お咎めはない。悪いことをすれば、捜査されて特定されて、場合によっては身柄を拘束されて、裁判を受ける。しごくあたりまえの原則はどこでも原則。

それなのに、インターネットにおける匿名性(たいした匿名性でもない)を目の敵にして、利用者氏名登録制(だとか免許制)にして匿名性を排除すべきだということをマスメディアは大真面目に言うのですが、あれ、ほんとうに大真面目なんでしょうか?いや、ただ、自分たちの縄張り(情報を発信する力)が侵されてきたことに対する拒否反応なだけなんじゃないかと思います。

インターネットのこの程度の匿名性がまずいというのなら、現実世界の匿名性もまずいわけで、じゃあ、まずいまずいというマスメディアの人から「住所氏名年齢職業出身地」を書き込んだ名札を胸に縫い付けて歩けばいい。

無理でしょう?無理ですよ。別に名前くらい知られたってどうってこと無いかもしれないけれど、それつけたままエロ本買ったりエッチな場所にいったり出来ないでしょう?いや、物のたとえですけど。

そんなことを政府が義務付るというもんなら「全体主義だ!認められない」ってことになりますよね?取材とかもやりにくくなっちゃうでしょう。でもそれと同じことを言っているのです、インターネットの(たとえば掲示板の)実名利用登録制だとか免許制だとかそういう議論は。インターネットだけ別な世界でこの現実社会をおびやかすものであるなどというのは荒唐無稽な幻想でしかない。それなのに自分たちが気づかない、もしくは気づかないふりをして、自分たちにとってもどんどんまずい方向にもっていこうとしている。それがいまのマスメディアです。

インターネット掲示板の匿名性が問題だとかそんなことを議論するのではなくて、インターネットだろうがどこだろうが、人間が社会生活を営んでいく上での規律、規範が乱れていることを憂慮し、その乱れを正していくような方向性にもっていくのが、本来のマスメディアの役目のひとつなのではないでしょうか?

いつか、ではなく、すぐに、気づいてくれるものだと期待しています。

(どうでもいいけど、この情報番組、司会者の知ったかぶりは、ある種かわいそうなくらい痛いし、アナウンサーはニュースやテロップが読めないのでちょっと見ているのがつらい。コメンテータP氏(辛口ファッション評論家?)は「ツーチャンネル」といっていました。昔会社で上司が「チャンネルツー」と会議で大まじめに言ったときくらい聞いているほうが恥ずかしかった。なら見るなというけれど、それはそれで面白いといえば面白いので...)

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コメント

「インターネット掲示板の匿名性が問題だとかそんなことを議論するのではなくて、インターネットだろうがどこだろうが、人間が社会生活を営んでいく上での規律、規範が乱れていることを憂慮し、その乱れを正していくような方向性にもっていくのが、本来のマスメディアの役目のひとつなのではないでしょうか?」
激しく同意します。

私は「三浦轍」というHNを使っていますが、たぶん、同じ名前の人物が現実にも存在していると思う。だけど、そんなこと調べてもあまり意味がないと思ったし、少なくとも、ネット世界には同姓同名の人がいないことを、あらゆる検索システムを使って確認したうえで、使うことを決めました。

私が書く文章に対する全責任は私にあるし、そもそも、他の人に私の文章は書けない(上手いとか下手という意味じゃなく)。そのことを常に念頭においてインターネットを利用しているつもりです。

なんか、熱くなってしまいました。

投稿: 三浦轍 | 2005.10.08 22:36

三浦轍さん、いつもありがとうございます。

時代がかかった言い方ですが、インターネットは牧歌的な村だったのを大資本がやってきてこぞって急激に変化させてしまった。そこには一般社会で通用していた社会通念の欠如がみられるようになり、また、その大きくなったムラ(ではなく巨大都市)の存在そのものが別の巨大資本であるところのマスメディアを脅かすようになってきた。

既存の政治権力もマスメディアもひとつの権力であり、それらには自己保護反応というのがはたらきます。それらが第3の権力になりうるネットワークの世界を敵視するのはわからないでもないんだけれども、それをそのままそうしてしまうと、今度はある勢力に権力が集中して結果全体の幸福にはつながらないという、いわゆる現代社会における権力論みたいなところに行き着いてしまう話でもあります。

商用インターネット黎明期には送り手側として、現在は受けて側としてインターネットに携わっている僕としてはそんな権力論はどうでもいいから、みんなほうっておいてほしいところでもあります。

しかし、マスメディアの質の低さはこれとは別にだれかが言いつづけなくてはならないことでもあります。僕らがね。

投稿: akst | 2005.10.10 01:08

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