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2006.08.20

表参道ヒルズから、都内と郊外についてまで

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表参道ヒルズの中は、エッシャーの絵を思い起こさせるような奇妙さがある


M・C・エッシャー
グラフィック (単行本)

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安藤忠雄氏の手による設計では、同潤会アパートメントの一部が再現されている

僕は表参道なる奇妙な場所に、さらに奇妙な空間ができたのだなあと半ばあきれ、そして半ば感心しました。
この狭隘な土地にこれだけの付加価値を持った空間を作る安藤氏はすごいとおもうと同時に、「ヒルズ」だとかいう名前とか、このへんなロゴマークだとかに奇妙な違和感を持ちました。

僕は事情があって数年前都内から郊外の実家に戻ってきたのですが、こうして郊外の(そして通勤は都心へ)生活をしてくると、都内と郊外のどこにも自分の身の置き場がないということに気づいて少し悲しくなりました。

中野と杉並と世田谷と郊外に暮らし、広尾と笹塚と幡ヶ谷(これらを渋谷区とひとまとめにするには無理がある)、そして紀尾井町、初台、秋葉原、新宿というところで仕事をしていると、都内と郊外というのは地続きでも何かギャップがあることを感じます。(勤務地がアチコチ飛んでいるのは、会社そのものが引越ししたり、僕が転職したりしてるから)

そして、そのギャップは何かというと、距離感の違いなのかな?とも思います。

たとえば、「ひと駅」といっても、京王線で京王永山-京王多摩センターは2.3kmありますが、これは同じ京王線でも下高井戸-桜上水-上北沢-八幡山までに匹敵します。
郊外は生活が郊外で完結していれば(通勤に都内まで出なければ)、基本的なインフラ(買い物から各種施設まで)は都内とかわりありませんが、この距離感が多少不便です。
(地方にいくとこれがさらに進んでいて、自動車の普及とともに、生活のベースが自動車を基本としたために公共交通機関と商店街が衰退しました)

都内で2.3kmも移動すれば、渋谷から恵比寿まで行ったあと、広尾の手前までいけるわけで、歩くとすると結構なボリュームです。

こうした距離感の違いとともに、通勤にかかるエネルギ(肉体的精神的)なものも大きなものがあるわけで、ドアtoドアで1時間の通勤時間にかかるエネルギーと、電車に乗っている時間が正味1時間になるような郊外(朝の電車はノロノロになるのと、乗り換えにかかる時間も考えるとこの電車1時間という範囲は意外に狭い)の通勤にかかるエネルギーはとても大きな違いになります。(時間的、体力的、精神的なロスになる)

じゃあ都内は住みやすいのか?というと、それもなんか微妙に違うなという気持ちがするのです。

(以下、僕の勝手なイメージ)
何とかヒルズ付近は、エリを立てて生活しないといけないような気がするし、中央線沿線は狭いところにサブカルっぽく生活しなくちゃいけないような気がするし、下町のカオスは郊外の整然とした(ゲマインシャフトじゃないかという批判には目をつぶって)生活から比べると、やはり気になるし。渋谷や新宿の眠らない生活の中で生活していくにはエネルギーが必要そうだし、目黒や成城や田園調布は論外なような気がするし...

こう、なんとなくネガティブなことをつらつらと書いてしまったのは、渋谷や原宿、新宿の雑踏には目を回すし、六本木や麻布や広尾のあのなんともいえない雰囲気には逆に滑稽さを感じてしまうし、中野や秋葉原のサブカルはメジャーになっちゃだめだろうという気持ちもあるし、だからといって郊外も不便だし、僕はどこに居たら(住んだり、仕事をしに行ったり、買い物に、デエトに、散歩に出かけたりしたら)いいのか、わかんなくなっちゃったからなのです。

もうすこし、首都圏というのが、住みやすかったら、もしくは、自分の生活のベースが首都圏以外にあったら、きっと居場所というものが見つかるのだと思うのですが...


TOKYO STYLE (文庫)
都築 響一

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