ときどきコメントを寄せてくれていた、InTheSpiralのn#さんが、亡くなった。
そうしらせてくれたのは、見覚えのない携帯電話からの着信で、その電話は昔のマネジャだった。(ちゃんと登録しておけとおこられた)
n#さんは、実は僕のリアルな数少ない友人で、知り合ったきっかけは某外資系ソフトウェア会社のインターンシップで同期だったころにさかのぼる。1995年の終わりのほうの話で、世の中がWindows95に浮かれ始めていたころだった。
彼は津軽出身のインテリで、僕は1コ年下だったけど、僕の価値観、ものの見方、考え方を、理解してくれた数少ない友人だった。僕も彼のものの考え方には理解をしめし、また、ちょっと口うるさいこともお互い言い合った。
彼とは2年半くらい一緒に働いて、彼はオンラインサービスの仕事、僕は別のオンラインサービスの仕事でもう3年くらい同じビルで働いた後は、リアルには疎遠になっていたけれど、オンラインではいつもわりに近い距離にいた。
彼はずっとオンラインサービスの仕事をしていて、ずっと最先端を走ってきていた。
(ぼくはそのあいだ、物理演算アニメーションだとか大域照明だとかの三次元CGの意味不明なところをうろうろしていた)
入院したというので、心配してたらむこうから連絡がきて「入院生活のコツ」を聞いてきた。
なんでも頭痛がずっとするのでMRIを撮ったら血管芽腫って種類の脳腫瘍だったということで、忙しい中苦労して各方面調整して入院したとのことだった。
ぼくはわりとあっけらかんと
「消化器の病気じゃなければ、ふりかけがいるよ。ふりかけがあるとないとでは食事がぜんぜん違うよ」
「パズルだとかテレビ情報誌だとかは入院患者のためにあるんだよ」
とかいう返事をした。
見舞いには行かなかった。病気のときに知り合いに顔を見られるのは男としてはちょっとイヤだというのが自分の経験でよくわかっていたから、それをつげて、手術の成功を祈ってメッセージのやり取りを終えた。
連休中は、彼のことが気になったけれど、僕は僕で毎回トイレが真っ赤になる下血と、ほぼ歩行不能な両足首の浮腫と熱になやまされ、ろくな生活ができなった。そのまま連休が終わって、出社したところに、この訃報だった。
僕はお通夜や告別式を遠慮して、式に花を贈って、別の友人たちと日をあらためて花をそなえにいこうと思った。
なんだか、仕事の知り合いがいっぱいいるところでどんな顔していいかわかんなかったからだ。
まだ、すこし自分の心の整理がついていない。数少ない友人の1人を失ったのだ。
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