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2007年5月

2007.05.31

ちょっと惰性で The Very Best of MOTOR MAN Vol2

The Very Best of MOTOR MAN Vol2
The Very Best of MOTOR MAN Vol2SUPER BELL”Z


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ちょっと惰性で購入してしまいました。Super Bell"zのCDはこの作品からCCCDではなくなりましたね。
軌道刑事ツクバンがききたかったから買ったのですが、TXは軌道じゃなくて鉄道だよなぁ。

AIR TRAIN
AIR TRAINSUPER BELL"Z


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こっちのほうを買えばよかった。これは鉄音アワーからの企画ですね。

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2007.05.30

スーパーカブにリアボックスを取り付けた GIVI E26N micro モノロックケース

スーパーカブは荷物の積載については(運ぶ力とか)文句ないのだろうけど、メットインスペースなどはないので、ちょっとした小物(雨具・書類・メット、かばんなど)を運ぶのがすこし面倒です。
そこでリアボックスを検討していたのですが、結構これが難しいものでした。

なかなか、僕のスーパーカブに合うものは見つけられなかったのです。


これはベンリーの純正ボックスですが
スーパーカブの純正と同じもの。

純正のこれをつけちゃったら、丸々商用車だし


ホームセンターでよく見かけるタイプ

こういう銀色なのはぜんぜんテイストが違います。

そこでいろいろさがしていたのですが、いいものを見つけました。


これは安かった。GIVI E26N

イタリアGIVI社のこのケース、自己主張しない無塗装のスリムな形で、容量はその名のとおり26リットルあり、フルフェイスヘルメットもOKです。
へんな反射板もついていないし、コンパクトで、つかわないときはベースからはずせる着脱式です。
ベースはそのまま荷台として使えます。

僕は最初バイク用品店で見つけて、店員さんにお願いしてあわせてみたらぴったりでした。でもお店では7825円の希望小売価格だったので、すこし安いところを探していたら、楽天でみつけました。ちょうど楽天証券にお金を預けたボーナスポイントも5000ポイントほどあったので、買ってしまいました。

さっそく取り付けてみました

300507_0611_1
前から見たところ

300507_0610
うしろから。

300507_0557_1
ボックスをとりはずしたベース
そのまま荷台として使える(あたりまえだけど)

300507_0614
ヘルメットをいれてみた

さっそくインプレッションです

良いところ
・ やっと荷物の収納ができるようになった。
・ 使わないときは身軽になれるよう、取り外せる。(着脱式)
・ 外観が自己主張がなくスマートで、いろんなバイクにも合うと思う。
・ 無塗装で、飾りのない質感がよい。
・ 結構しっかりしたつくりで、結構いろいろ入る(雨具・バイクカバーをいれたまま、かばんをいれてみたりした)
・ ベースの取り付け用の金具が、しっかりつくってあって、振動などで簡単に外れないような対策がしてある。
・ 重さも、バランスの悪さも感じなかった(乗ってみて)。

悪いところ
・ ちょっとベースの取り付けにコツがいる
(すこしめんどくさいかもしれないが30分もあれば取り付けられる)
・ 着脱にもコツがいる(最初はなかなかうまくいかない)
・ バイクにまたがるのにコツがいるようになった。

もともと僕のカブは、ミディシートにあわせたリアキャリア(すこし後ろに出ているタイプ)をつけていて、実はこれがわりにエンジンと共振してうるさかったのですが、ベースをとりつけたらこの共振も止まったのでバイクが静かになりました。

安いリアボックスでも、ホームセンターで4千円くらいするので、この5500円のGIVI E26N micro モノロックケースは、とてもいいものだとおもいます。

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2007.05.28

オフィスの電話機のコードがねじれちゃう

ITmedia Biz.ID:電話機の「コードねじねじ現象」が発生する理由

わざわざ解説しなくても、理屈はわかりそうなもんですが、理屈は理屈であって、実際はそう簡単に解決するものではないですね。こういう些細なことにはそういうことが多い気がします。

405円で解決できる問題でもありますが、これを解決するのに405円を支払うべきかどうか?ということも悩みます。


サンワサプライ ねじれTEL2

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2007.05.27

トップの責任の取り方

民間企業と政府では、トップの責任の取り方っていうのが違うと思います。

民間企業のトップというのは、組織の中で機能的に大きな役割を占めます。だから、不祥事がおきたとき、ちゃんと火消しをしてから、辞任しないといけません。

それにたいして政府や公共団体のトップっていうのは、機能的に意味のない(経験もない)人が政治任命でなることから、不祥事があったときに、詰め腹を切るためにいると思うのです。
このへんは、適法かどうかということだけでなく、高度の倫理観も求められます。だから(その分野で)無能な人間でもトップになれるのです。

まあ、詰め腹を切ってもらっても問題が改善することはあんまりないんですけど、筋道としては、そういうことなんです。

そういうことについて、よくわかんないまんま、組織のトップにいて責任を語ってはいけないというお話。

<追記>
なんだかよくわからないけど、農相が死んだ。この状況で説明責任を果たさないで死ぬのは本意なのか?また、別の意思が働いたのか?そういう意味でよくわからない。

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2007.05.22

気まぐれコンセプト クロニクル

気まぐれコンセプト クロニクル気まぐれコンセプト クロニクル
ホイチョイ・プロダクションズ

小学館 2007-01-20
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注文して、手元に届いて呼んでみるも、やっぱりホイチョイ・プロダクションズと僕はあんまりしっくりこないとおもいました。
そもそも、広告代理店と合コンというテーマが、僕の生活とかけ離れているというか、あまりに現実的でない(生産的でもない)気がして、冗談にしても、あまり面白くない気分になってしまうからでしょうか?

バブルから今への流行がひと目でわかるものではありますが、それその目的のためだけにこれを買うのは、どうかなぁと思います。

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スーパーカブのカスタマイズ

「最近はスーパーカブに乗っているよ」

っていうと、なんか失笑じみた反応だったり、笑われたり、よくその反応の意味が理解できないんですが、普段の足として最近はスーパーカブに乗っています。(リバイブは、運動するときに乗ります)
だって、燃費もメンテナンス性もよいですからね。

実は去年の5月に買った古いC50は廃車にして、AA01にこっそり乗り換えているのですが、外観をそのままにしているので、誰も気づかない。
(ナンバー取り直したり自賠責切り替えたりしなくてもバレないんじゃないか?とおもうくらい誰も気づかなかったのだけど、それはそれで不自由だから、ちゃんといろんな手続きはしましたよ、そりゃ)

190507_1839
去年とほとんど同じ外観だけど、本体が実は違う。

さて、カスタマイズは以前書いたようにカブラレッグカバーはMOTO MEBIUSで特注で純正色(コスミックブルー PB-66)に塗って貰いました。

シートはミディシート。また、それにあわせたリアキャリアをつけています。また、レッグカバーの部分にベトナムキャリアがついています。これらはアウトスタンディングさんで購入したものです。

その他はフロント(ドライブ)スプロケットを標準の13丁から14丁に、プラグをイリジウムプラグにしています。カブは標準のギア比が高いのでドライブスプロケットを1丁増やすと、1速、2速の守備範囲が広がり、トップギアでのエンジンの回転数も低めにできます。その分トルクは弱まります。じつはAA01になってから、排ガス規制関連で馬力が0.5馬力くらいよわくなり、トルクも弱めになってしまいました。すこし残念かな。

キタコドライブスプロケット (フロント) HONDA系
キタコドライブスプロケット
カブの場合は530-1010014

NGK プラグ イリジウムIXプラグ CR6HIX
カブにはこれ。
NGK プラグ イリジウムIXプラグ CR6HIX

イリジウムプラグはおまじないみたいなもんです。

カブを選んだのには理由があって

・ 原付ほしかった(べつに2輪の免許はとる気はなかった)けど、スクーターじゃなんかイヤだった
・ エイプとかは、学生の乗るものであって、社会人はダメなような気がした
・ マグナ50は格好いいけど、実用性と値段がよく理解できなかった
・ 外国製のスクーターも格好いいけど、値段が理解できなかった
・ 外国製のモペッド(TOMOS)とかじゃ、実用性がないんじゃないかとおもった
・ カブなら、多少外観をどうにかすれば、大人が乗っていておかしくないし、機構的には信頼性が高いと思った。

結局、カブしかないじゃんってことで、カブに乗っているのです。

スーパーカブをカスタマイズして乗っている方は結構いっぱいいます。僕も街でモペッティなカブや、ダートラみたいなカブをみかけることがあります。
僕のカブはカブらしさを残してオッサン臭さを取り除きたかったのであまり過激な外観ではないですが、世の中いろんなカブがあります。

はじめてのスーパーカブカスタム―HONDA SUPER CUB 50/90 & Little Cub
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この本には、とてもきれいにカスタマイズされているカブがいっぱい乗っていて、見ていて楽しいし、参考になります。

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2007.05.21

ステロイドの懲罰的作用

土曜日の昼にプレドニンを飲むのを忘れたら、土曜日の夕方トイレが血で真っ赤になっていた。

ステロイドの気に入らないところは、こう、なんか自己中の女みたいに、懲罰的な態度(作用)をとることだ。

「いつも私のこと考えてくれないとイヤ」 (すこしでも忘れると作用しなくなる)
「ちょっとでもわすれたら、仕返しするわよ」 (症状が後退する)
「わかれようとしたら、ひどいんだから」(離脱症状)

冷静にかんがえて、これは困ったちゃんだよなぁ....

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2007.05.20

OTPは、実際やってみると結構大変

僕の(昔の)どうしようもなさについて、n#さんが奥さんに話していたことがあった。そのうちのひとつが、下のリンク。

「紙grepを開発したら、ノーベル賞もらえるぜ。それより、俺のかわりにオシッコしてきてくれよ。っていうか、OTP、オシッコトランスファープロトコル開発しろよ。ノーベル賞もらえるぜ、完璧に」

これ、疲れていたとはいえ、まじめに話していたんですが、あとで万やむをえない事情で「トイレに行かなくてもオシッコできる方法」を実践する状態になったときは、僕は人間の尊厳ってどこにあるんだかよくわかんなくなってしまったことがありました。

人間、馬鹿なことは考えるもんじゃないし、たとえ考えたとしても、他人に話すもんじゃない。

まあ、なんにしても、彼が僕のくだらなさによくまあ愛想を尽かさなかったもんだなぁという思い出。

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2007.05.19

n#さんと、僕らと、これからと。

インターンシップの同期生だった2人と田端駅で待ち合わせ、先日なくなった友人n#さんのお宅へ挨拶に行った。

故人に別れをつげるのではなく、奥さんと友人と、彼の前でいっぱいお話をするつもりでいたのだ。

彼の奥さんには、結婚したあとに会ったのは初めてだった。(その前には顔ををあわせていたけれど。)
彼はわりと格好つけだったので、私生活を、あんまりみせないタイプの男だったのだけれども、奥さんとの生活は(ぼくらの知らない側面としての)愛情にあふれた生活だったのだと、奥さんの表情をみて思った。

病気がわかってからなくなるまで3週間とかからなかったのだから、僕らも奥さんもまだ混乱してるし、死に至るいきさつについて、一番納得していないのは本人かもしれない。

彼が脳だとか意識だとかそういうことに興味をもって、本を読んでいたのは、今回の病気とは関係がないと奥さんがいっていたけれど、それはそうだな、と僕は思った。
僕はわりとそういうところはスポイルして考える人間で(いや、究極的には世界は僕の意識下にだけ存在すると考えることにして、20歳代のはじまりのほうに結論付け、それ以降考えるのをやめた)、脳だとか意識だとかいうことをあまり考えなくなっていたのだけれども、彼は彼のテーマとして、そういう本を読み続けていたようだ。
このあたりのことについては、彼のお兄さんや、彼の友人が記事にしているので、僕はそれを読むことにした。


今日は、僕らは、ただ、ただ、彼との出会いや、彼と過ごした時間について、そして彼の「格好つけ」(これは彼のパーソナリティのうちで、一番わかりやすいもので、そしてそれはニュートラルに、彼を象徴するものだと思う。男ってそういうもんだろ?)について話題にして、彼の存在を中心に、みながいるんだということ、いっぱい話した。それが、僕らの、彼や彼の奥さんへの、数少ないできることなんだろうとおもって、とにかく、いろんな思い出を話した。

日本の商業インターネットサービス黎明期に、僕らは本当にどうでもいいような話で笑い転げながら夜中まで仕事をしていた。だから、思い出には事欠かない。今考えると、ああいう仕事ができたのは、いろんな運のめぐり合わせだったのだろう。

今、僕らはいろんな立場で生活をしているけれど、当時そういう状況で、いっしょに働いた、時間をすごしたということがみんながみんな、いまの生活に結びついていることを実感した。

そういう意味では、彼は今後も僕らの中でおおきな存在であるのだろうと、3人とも思った。

またつれづれ、書いていこうと思う。

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2007.05.18

銀座 古拙

銀座 古拙で食事をいただいた。

銀座で食事をするなんて、あまり考えたことがなかったけれど、とてもおいしいコースでした。
お店の場所はわかりづらいところにあります。お店と内容をしらないととても入れないような入り口なのです。

奥が深いですね、銀座。

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2007.05.15

書痴斎藤昌三と書物展望社

島田洋七氏が自分の祖母の話を書いたらベストセラーになりましたね。
まあ、なかなか身内の話を本にして、みんなが見る機会というものもないんじゃないでしょうか?

僕のおじいさんのおとうさん(おとうさんのおじいさん)に変わった人がいて、その人をネタに八木さんという方が本を書いていたので、注文しました。(ちょっと意味がわかりにくいですね)


書痴斎藤昌三と書物展望社
(リンク修正しました)

八木さんというのは、古書界の生き字引のような方だそうです。
僕はこの斎藤の曾孫でありながら神保町界隈に足を踏み入れたことはなく、「書物展望」については京都の臨川書店が復刻したものがひとそろえ父の実家にあるのはわかるのですが、なんかさわっちゃいけないような気がして、手にしたことがありません。
曽祖父には会ったことはないけれど、変わった人だということは周りの人の話を聞くたびに感じていました。昔、月刊朝日かなんかにも取り上げられていましたが、まあ、変わった人ですね。
本の装丁を蓑虫でやってしまうなんていうのは、他にきいたことがありません。

自分のルーツを探るのに、その人が遺した本ではなく、他の人がかいた本を読むっていうのが、安直な感じではあるのですが、とりあえず入り口として昌三というひとがどういう人であったか(そして他人にはどう見えていたのか)を知ろうと思います。

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2007.05.14

歩ける生活

プレドニンの威力はすごい。
一晩たって、朝おきた瞬間から、歩ける

階段を手すりにつかまらなくて下りられる。
しゃがめる。

普通に生活できるのだ。すごいですね。

でもまだ下血がとまんないのは何でだろう???
とりあえず、これから、これを減らすための努力です。プレドニン。

<追記>
いや、すっごいめまいがするんですけど...ちきゅうがぐるぐるまわっているよ...

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2007.05.12

プレドニン30mg投入

病院に行った。両足の浮腫を先生に触ってみてもらった。
病院にいくのに、車はつかえなかった。微妙なアクセルやブレーキの操作が無理だとおもったから。
カブにまたがって出かけていった。カブのギアチェンジは使えない足をうまく使う方法が使えるようになっていたから。


「先生、もう普通の生活ができないです。プレドニン使いたいです。」
「これ、熱持ってるね。モービック、効かない?」
「いや、モービックが効いて、このレベルです。モービックがなければ、立てません」
「量、どうする?」
「下血もしてるし、中途半端はやめて大量に投入したいです」
「じゃ30mgいってみるかね。とりあえず14日間、漸次減らすということで、ね。」
「はい。14日後に25mgか20mgに。」

プレドニンを30mg/日 という値で内服するのは、ここの所記憶がない。薬局で大量のプレドニンを目の前にして、薬剤師が
「なに?どうしたの?ここのとこプレドニン切れていたのに、この量?大丈夫なの?」
「あ、いや、大丈夫じゃないので、先生と相談して30mgにしました。14日。」

とりあえず家に帰ってきた。

たぶん、壊疽性膿皮症で足がどんどんくさっていったときだって、感染症が怖くてプレドニンの量を30mgにしたおぼえはない。
入院しないで30mgも使うってのが、治療方法として正しいかといえば、微妙だろう。
普通なら、さっさと入院して、栄養は輸液管理でプレドニン静注で経過観察が妥当だろう。

だけど、入院してなにがかわる?栄養は輸液管理でプレドニン静注で経過観察しかできないのなら、意味がない。
外科手術してよくなるんじゃあなければ、もう僕は緊急時(ショック症状がでているとか、意識がないとか)以外に入院するという選択肢はないんだ。

どこからが普通の生活で、どこからが病人らしい生活なのか、わからない。病人らしい生活をすればいいのだろうか?
いや、だけど、僕はプレドニン30mg投入しながら、社会生活をするのを選んだ。病人らしい生活はまっぴらだ。

いや、病人なんだけどさ。

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クリエイティビティと非クリエイティブ

友人のn#さんについて、思い出をつれづれと、の、つづき。


彼はいつもクリエイティブであろうとしていた。また、クリエイティビティというものは才能とそれを補う日々の努力の両方が必要なのだけれども、彼はその両方を兼ね備えていた。
(努力できるという才能は、才能である)
気位の高い彼にとって、クリエイティビティのないことや人、また、クリエイティビティををおろそかにすることは我慢できないことのようだった。
実際、彼の仕事は高いクリエイティビティが必要とされていたのだ。

僕はそのころ、「非クリエイティブ」という言葉を好んで使った。クリエイティビティのかけらもないこの「非クリエイティブ」という言葉は、半ば自嘲的に、才能や努力する才能のない自分の免罪符のようにつかった。だけど、この言葉の本質はそんなことではなかった。

ある日、彼は僕に

「もう『非クリエイティブ』なんて言葉を使うな。それは自分の可能性を否定しているとは思わないか?」

といわれた。僕はそうはおもわなかったけど、議論すると長くなりそうだったので、長いことかけて、僕の人生で態度で示すことにした。

多くのクリエイティビティは、その土台に、非クリエイティブな作業があるおかげで、そのクリエイティビティが保たれているのだ。
デザイナーがデザインするための、その鉛筆、紙は、創造的というよりも、単純に生産的な作業で作り出されたマスプロダクトだし、その時間を作るために自分でする作業の多くは創造的ではなく、単純作業に他ならない。
独創的な創造性をえるためには、絶えず犠牲になる多くの無駄とおもえるような作業や人間、時間が費やされるのだ。

僕は自分の人生の中で、クリエイティブなことはほとんどおこなってこなかった。けれど、その非クリエイティブな仕事のなかで、他の人間のクリエイティビティを支え、飛び立たせてきたという自負がある。

だから、彼にああいわれた日よりずっと後、何年もたった後、
「僕の仕事は非クリエイティブだけど、他の人のクリエイティビティには必要不可欠なんだ」
という説明をしたとき、かれは納得していた。

それだけ、僕らは時間をかけて大人になったのだ。
人生の中では、友人との会話に、人生の時間をかけて、態度で示すこともある。

僕らは、お互いによき理解者であったと思う。

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2007.05.11

本質的な差異と、理解

僕は先日みまかった友人のn#さんのことを考えるに、

「この人は僕とは本質的なものの見方が違うのに、よくまぁお互いを理解したなぁ」

ということばかり思い浮かんだ。

すこし、つれづれに彼のことを書いていこう。


僕が大学2年のとき、彼は大学3年で、僕の当時の彼女の住む街に彼は住んでいた。仕事の帰りにいつも一緒に電車で帰り、駅で待ち合わせた僕の当時の彼女とコンビニに買い物に行ってから別れるというのが日課だった時期があった。

その街はいわばニュータウンで、画一的なつくりの街が広大に広がっていた。(いうまでもなく多摩ニュータウンのことです)
彼はその街のつくりの画一的なところ、それにおさまってしまう人間たちがよく理解できないようだった。ただ、通学に便利だから住んでいるようなもので、できればこんな文化的でないところには住んでいたくないということを言っていた。

そう、画一的なニュータウンには、人文学的なものを望むのは難しい。

彼は地方のゲマインシャフトの出身で、それはそれで好きではないようだったけれど、結局はゲゼルシャフトよりゲマインシャフトのほうが人間的だとかんがえたのか、後に下町に引っ越した。当然といえば当然だ。

でも僕は違った考え方で、こうした画一的な(マスプロダクティブな)街のデザインに機能美を見出していたし、そしてドライな関係性については潔さすら感じていた。僕はゲマインシャフト的なしがらみなんてなくても生きていけると思っていたのだ。
(若いころのそういう思い込みはたいていすこしズれているものだけれど)

そう、画一的なニュータウンには、計画美、機能美があるのだ。

こういったところから、同じ街について本質的な感覚のところで差異があった僕らだったけれど、それはお互いにそういうことを議論して、ああ、そういう考えがあるのかということをよく理解した。
たいてい、僕の考えていることと彼の考えていることはぜんぜんちがったのだけれど、彼は
「ああ、そういうふうに考えるのか、キミは」
という風に理解してくれるものなので、僕は僕で、自分とはぜんぜん違う考えをする彼を、その考え方ごと受け入れることができた。

若いうちのそういう関係性ってのはとても大事なことで、ぼくはかけがえのない時間を彼と過ごしたのだ。

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プレドニンを10mg

相変わらずペンタサ(腸)もモービック(関節)も、効きが甘い。新薬というのは、最近は副作用がすくないもののことをいうのだろうけど、本作用も甘いのが多い。これでいいのだろうか?

そう、プレドニン(プレドニゾロン)を10mg、1日に飲むだけで、おそらく今僕に起こっているいろんな不具合は解決するだろう。
だけど、その後、その10mgをゼロに戻す過程で、いろんな面倒なことが待っているのだと思うと、医師も僕も躊躇するのだ。

何をどうすればいいか、なんにもわからない一週間だった。

<追記>
プレドニンのようなステロイドを使うと、たいていの症状はよくなるのだけど、ステロイドには特有の離脱症状というのがあって、10mgつかってよくなったとおもって使う量を減らすと、とたんにわるくなり、今度は10mgでは症状が改善せず、15mgとか増量しなくてはならなくなったりする。これを繰り返すうちに体のホルモンバランスは崩れ、依存症状になってしまう。
だから、10mgからゼロにするには、3ヶ月かけて1日10mgから9mgにする、という気の遠くなるような作業が待っていて、たいてい、あっさり減らすことができずグズって具合が悪くなったりするのです。

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2007.05.07

友人の死とふりかけと。

ときどきコメントを寄せてくれていた、InTheSpiralのn#さんが、亡くなった。

そうしらせてくれたのは、見覚えのない携帯電話からの着信で、その電話は昔のマネジャだった。(ちゃんと登録しておけとおこられた)

n#さんは、実は僕のリアルな数少ない友人で、知り合ったきっかけは某外資系ソフトウェア会社のインターンシップで同期だったころにさかのぼる。1995年の終わりのほうの話で、世の中がWindows95に浮かれ始めていたころだった。

彼は津軽出身のインテリで、僕は1コ年下だったけど、僕の価値観、ものの見方、考え方を、理解してくれた数少ない友人だった。僕も彼のものの考え方には理解をしめし、また、ちょっと口うるさいこともお互い言い合った。

彼とは2年半くらい一緒に働いて、彼はオンラインサービスの仕事、僕は別のオンラインサービスの仕事でもう3年くらい同じビルで働いた後は、リアルには疎遠になっていたけれど、オンラインではいつもわりに近い距離にいた。

彼はずっとオンラインサービスの仕事をしていて、ずっと最先端を走ってきていた。
(ぼくはそのあいだ、物理演算アニメーションだとか大域照明だとかの三次元CGの意味不明なところをうろうろしていた)

入院したというので、心配してたらむこうから連絡がきて「入院生活のコツ」を聞いてきた。
なんでも頭痛がずっとするのでMRIを撮ったら血管芽腫って種類の脳腫瘍だったということで、忙しい中苦労して各方面調整して入院したとのことだった。

ぼくはわりとあっけらかんと
「消化器の病気じゃなければ、ふりかけがいるよ。ふりかけがあるとないとでは食事がぜんぜん違うよ」
「パズルだとかテレビ情報誌だとかは入院患者のためにあるんだよ」
とかいう返事をした。

見舞いには行かなかった。病気のときに知り合いに顔を見られるのは男としてはちょっとイヤだというのが自分の経験でよくわかっていたから、それをつげて、手術の成功を祈ってメッセージのやり取りを終えた。

連休中は、彼のことが気になったけれど、僕は僕で毎回トイレが真っ赤になる下血と、ほぼ歩行不能な両足首の浮腫と熱になやまされ、ろくな生活ができなった。そのまま連休が終わって、出社したところに、この訃報だった。

僕はお通夜や告別式を遠慮して、式に花を贈って、別の友人たちと日をあらためて花をそなえにいこうと思った。
なんだか、仕事の知り合いがいっぱいいるところでどんな顔していいかわかんなかったからだ。

まだ、すこし自分の心の整理がついていない。数少ない友人の1人を失ったのだ。

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