n#さんと、僕らと、これからと。
インターンシップの同期生だった2人と田端駅で待ち合わせ、先日なくなった友人n#さんのお宅へ挨拶に行った。
故人に別れをつげるのではなく、奥さんと友人と、彼の前でいっぱいお話をするつもりでいたのだ。
彼の奥さんには、結婚したあとに会ったのは初めてだった。(その前には顔ををあわせていたけれど。)
彼はわりと格好つけだったので、私生活を、あんまりみせないタイプの男だったのだけれども、奥さんとの生活は(ぼくらの知らない側面としての)愛情にあふれた生活だったのだと、奥さんの表情をみて思った。
病気がわかってからなくなるまで3週間とかからなかったのだから、僕らも奥さんもまだ混乱してるし、死に至るいきさつについて、一番納得していないのは本人かもしれない。
彼が脳だとか意識だとかそういうことに興味をもって、本を読んでいたのは、今回の病気とは関係がないと奥さんがいっていたけれど、それはそうだな、と僕は思った。
僕はわりとそういうところはスポイルして考える人間で(いや、究極的には世界は僕の意識下にだけ存在すると考えることにして、20歳代のはじまりのほうに結論付け、それ以降考えるのをやめた)、脳だとか意識だとかいうことをあまり考えなくなっていたのだけれども、彼は彼のテーマとして、そういう本を読み続けていたようだ。
このあたりのことについては、彼のお兄さんや、彼の友人が記事にしているので、僕はそれを読むことにした。
今日は、僕らは、ただ、ただ、彼との出会いや、彼と過ごした時間について、そして彼の「格好つけ」(これは彼のパーソナリティのうちで、一番わかりやすいもので、そしてそれはニュートラルに、彼を象徴するものだと思う。男ってそういうもんだろ?)について話題にして、彼の存在を中心に、みながいるんだということ、いっぱい話した。それが、僕らの、彼や彼の奥さんへの、数少ないできることなんだろうとおもって、とにかく、いろんな思い出を話した。
日本の商業インターネットサービス黎明期に、僕らは本当にどうでもいいような話で笑い転げながら夜中まで仕事をしていた。だから、思い出には事欠かない。今考えると、ああいう仕事ができたのは、いろんな運のめぐり合わせだったのだろう。
今、僕らはいろんな立場で生活をしているけれど、当時そういう状況で、いっしょに働いた、時間をすごしたということがみんながみんな、いまの生活に結びついていることを実感した。
そういう意味では、彼は今後も僕らの中でおおきな存在であるのだろうと、3人とも思った。
またつれづれ、書いていこうと思う。
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コメント
今日ふと部屋の名刺を掃除していたら、n#さんの名刺があって、そういや何してるんだろう。相変わらず面白いことやっているのかな?
とふと検索したら、この事実を知りました。
本当にずっと連絡をとっていなかったですね。
3年ほど私も海外に行ってたので。
よければ連絡ください。
投稿: nishimura yasuhiro | 2008.10.17 23:25
nishimuraさん
おおよそ10年以上ぶりですね。おげんきですか?
とりあえずあとでまたメールしますね。
投稿: akst | 2008.10.18 00:22
ありがとう。
先日、hotmailのアドレスを連絡したけど、
さっき設定見たら、アドレス帳登録以外のメールはすべて迷惑メール処理されてたことに気づきました。
ごめんなさい。
gmailのアドレス送ったので
そっちに連絡くれるとうれしいです。
投稿: nishimura | 2008.11.03 20:02
nishimuraさん
返信が遅れました。ちょっとなんか体調もPCもすぐれなくて。
メールしました。またお付き合いをお願いします。
投稿: akst | 2008.11.13 22:58