日本語を話す外国人
ジェロ君がテレビに出ているのをみると、素直に「よかったね。がんばったね。」と思う。
僕らが日本にいる限り、出会う外国人の半分くらいは日本語を話す。僕も多くの日本語を話す外国人に出会ってきたし、テレビでも毎日のようにそういう人(外国人タレントなど)を見る。それでも日本語を話す外国人はなにか「特別な人」だと思ってしまうのは、日本人が日本語を外国人に習得しにくい難しい言語だとおもってしまっているからだろう。(特別視している。)
ちなみに、僕が出会った日本語を話す外国人はこんな人がいました。(います。)
・ 中学の英語のアメリカ人先生(奥さんが日本人で日本在住)
・ 高校のスペイン語のバスク人の先生(宣教師で日本在住30年以上)
・ ソフトウェア会社のローカライズのマネジャ(たいてい日本留学経験がある)
・ イタリア在住の義弟(そもそも家族になる以前に日本文化会館で日本語を勉強した)
・ 留学生(いろんな国の)
いろんなバックグラウンドがあって、日本語へのスタンスもそれぞれ違うんですが、みんなよく話します。僕が日本語しかはなさないってのもあるのだろうけど。
僕は言語教育というのはよくわからないし、自分に外国語のセンスもないので適当なことしかいえないのですが、言語学習って、いくつかのブレイクスルーポイントがあるんじゃないかと思っています。
日本語を学習する上でのブレイクスルーポイントもいくつかあるとおもうけれど、そのひとつに漢字があると思います。
漢字はね、数が多いけど、あれが理解できるようになると、いっぺんに語彙が広がりますね。なんせ、意味のある文字の積み重ね(熟語)で単語になるわけだから、はじめてみる単語でも十分に意味が推測できる(そして理解できる)。
だから、日本語学習って今はわりと初期の段階から漢字をやるんですね。これは合理的だなぁとおもいました。
僕の義弟(妹のだんなさん)も、漢字はわりと得意で、漢字の熟語のほうが理解が早いことが多いです。(彼はそもそも日本語を勉強していたから、はじめて会ったときから日本語だった。)
漢字のそういう点に気づいたのは最近で、目からうろこが落ちた気分だった。だって、漢字って何千もあって、形もめんどくさくて、9年くらいかけて覚えるじゃないですか、僕ら。だから難しいものだと決め付けていたけど、後々のことを考えると、最初から(1年生レベルの漢字などで)漢字をおぼえてしまうほうが上達が早いみたいです。
つぎのブレイクスルーポイントは、ちょっとハードルが高いのだけど、和語ですね。熟語ってのは漢語で漢字なわけで、字さえわかれば次々にわかるというシステマチックな側面があって、わかりやすいのだけど、日本語は漢語は借用語であり、話し言葉では割合が少ないのです。そのかわり、自然発生的な語彙である和語が会話の半分くらいを占めます。
で、この和語は日本語オリエンテッドな語彙なので、ひとつずつ意味がわからないと使えない(漢語は分解してそれぞれの漢字の意味がわかればわかってしまう)ので、日本人が外国語をおぼえるように、とにかくおぼえなくちゃならない。実はそのボリュームは漢字を覚えるのより大きいかもしれないです。
さらに、いろんな意味があったり、微妙な違いがあったり、(外国語の基本語彙もそうなんだけど)ちょっと大変です。
「ダーリンは外国人」のトニー・ラズロさんも「和語は難しい」って言っていました。
ダーリンは外国人
でも、和語を違和感なく使えるようになると、これは完全に日本語話者として熟練者になりますね。僕ら日本人だってあやしい和語はいっぱいあるし。
カタコトの日本語から、日本語会話へのポイントはこの和語の使い方だとおもいます。
こう考えていくと、僕らが外国語を習得するときも、最初は語彙を、そして文章を、という順番だから、同じなんだなっておもいました。
究極的には、人間同士がコミュニケーションが取れるのならば、誰が何語で話したってぜんぜんかまわないわけなので、僕も相手の言葉を話せるようになるといいなぁといつもおもうのですが、相手が日本語だとついつい甘えてしまいます。
<おまけ>
さらに突き進むと、発音と抑揚が完全に日本人と同じかそれに近い話し方をする外国人がいますね。
ソフトのローカライズで一緒に仕事した米国人たちはなぜかみんなそうでした。
タレントで言うと、セイン・カミュさんやパックン、それから、山形のダニエル・カールさん、ジェロ君もそうですね。
長いこと日本にいてここが超えられないデーブ・スペクターとかアグネス・チャンなどとどう違いがあるのかはちょっと不思議なところです。(カタコトっぽいほうが、タレントとして商品価値があると聞いたことがあるけど、そんなの意味はないよなぁ。)
| 固定リンク
| コメント (3)
| トラックバック (0)
最近のコメント